1人で、5つくらいを使い分けている方もいたそうです。
明治になって、一つだけを国に登録することになりました。
勝海舟は、勝安芳という名前にしたのです。
アホウと読めるからです。
西郷隆盛は、隆永でしたが、忙しくて登録にいけなかったので、友人が代わりに登録しました。
ところが、友人は自分の息子の分と間違えて隆盛と登録してしまったそうです。
後で聞いた本人は、「俺の名前は、隆永じゃど」と呟いたそうです。
今、連載している漫画の中に、忠臣蔵の話が出てきます。
悲劇の殿様である浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の屋敷跡が、勝海舟が最後まで住んでいた赤坂の屋敷です。
また、勝の生まれた屋敷の近くに討ち入りされた吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷がありました。
歴史は、面白いですね。
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