2016年11月14日月曜日

資料を見分ける








歴史の資料と言うのは、たくさんの間違いがあります。
ある人物に関して、Aという資料もあれば、Bと言う資料もあります。
系図にウソを書く場合もあります。
たとえば、勝さんの三女・逸子さんは、勝海舟のお世話をしていた少女・増田糸と言う女性の子だと、系図にはあるのでたいていの資料にはそのように書いてあります。
ところが、長崎のある女性が生母だけれど、他家に再婚していったので、家にいた別の女性を生母として系図に乗せたというのもあります。
また、すぐに離婚した大鳥圭介さんの娘・ひなさんは結婚したことすら両家の資料から抹殺されています。
浦上キリシタンは「旅」と言う名で奴隷として各地に流されましたが、キリスト教嫌いな方の書いた本では、彼らが大げさに言っているだけで実際は違うと書いています。
各地の役所が、彼らを養うためにどれだけ苦労したかと言うことが中心になっています。
26聖人の本も、たくさんの脚色が入っています。
だから、研究者の第一人者であった結城神父さんは、それらの脚色を取って本を書かれました。
拙著「日本キリスト教史 上」では、結城神父さんにお聞きして後から付けられた脚色を取り除いていますが、いくつか分からないところはあえて入れている所もあります。 
また、高山右近が寺社を破壊したという文章では、「みんなが、キリシタンになったので、寺社が成り立たなくなって壊した。」のが本当ですと、お手紙をくださった方もいました。 
その方は、高山右近と細川ガラシャを描くときは協力しますとおっしゃってくださいました。
なんでも、研究家と言う方がいらっしやるので、聞いてみないと分からないことがたくさんありますね。
写真は、勝家の墓の横にある、増田糸の墓です。

0 件のコメント:

コメントを投稿