2016年12月26日月曜日

勝海舟の妹お順




勝海舟には、二人の妹がいました。
一人は、お順で、西洋砲術・兵法を教えていた佐久間象山の奥さんになりました。
佐久間象山の教え子の中に、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬いたわけです。
すごいですよね。
佐久間象山が書いた「海舟書屋」と言う書が額に入ったものがありますが、勝はその字が好きで、その額をもらい、自分の名前を海舟とつけました。
この象山は、しょうざんとぞうざんとどちらで読むのか、今では藪の中状態です。
傲慢な性格ゆえに、なかなか殿様からも受け入れてもらえず苦労もしています。
幕末の治安が悪い京の町で、気をつけるようにという忠告も聞かないで、共の者も少しで馬に乗っていて暗殺されました。
後ろから斬られたので、武士として情けないと 、非難されたのです。
象山が暗殺される前に、お順は里帰りしていましたが、そのまま勝家に居残ります。
後に、ひどい男と結婚しますが、その男がゆすりたかりまがいなことをして、勝からお金を巻き上げ続けます。
恩を仇で返すような男でした。
勝にはもう一人、はなという妹がいましたが、この方は全く資料がありません。
やはり、勝家の敷地に住んでいましたが、あまり母屋には出入りしていなかったようで、勝の孫たちとも付き合いがなかったようです。
強烈な兄と妹の間で、影の薄い存在だったようです。
海舟の長男の小鹿(ころく)も病弱で影の薄い存在で、早死にしました。
代わりに、妾の子である三女の逸子が、目賀田種太郎男爵の夫人となり、大活躍します。
彼女が一番父親の性格を受け継いでいるのではないかと思いますが、同じ人の子供でもずい分違うものですね。
写真は、今も残っている勝家の門で、赤坂教会の前にあったものです。

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