2016年10月31日月曜日

へりくだり





明治時代に、アメリカの全権公使吉田清成という方がいました。
彼がアメリカのホテルにいた時、一人の男性が声をかけてきました。
名前を聞かれたので「吉田です。」と答えると、隣にいた男に「野蛮な未開国では、名前しかないのか。」と言いわれましたが、その男は牧師だったのです。
だから、吉田は、「イエスの弟子たちに苗字がありましたか?」と聞いたのです。
上から目線の傲慢は、人をつまづかせますね。
イエス様は、いつもへりくだりを教えられました。
写真は、「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな」です。

2016年10月30日日曜日

高円寺のイベント




今日、高円寺ではいろんなイベントがありました。
ハロウインの格好の方もいました。
あるお店では、サイン会をしていました。
綺麗な女性でしたが、どなたかはわかりませんでした。
写真は、風船で作った鶴です。
多分ね。

福沢諭吉と勝海舟




今連載中の「海を越えて」は、明治時代のお話です。
その中で、福沢諭吉が出てきますが、当時の日本人にしては背が高く173㎝の長身でした。
当時の写真がありますが、福沢の隣にいる日本人が子供のように見えます。
坂本龍馬は、174~180㎝だと言われています。
169㎝だという方もいるそうですが、勝海舟は153とか150や158㎝と言われています。
勝と龍馬が相撲を取った時、龍馬に持ち上げられて、勝が足をバタバタさせたというエピソードがあります。
木に止まった蝉のようだという人もいました。
勝は、弟子たちから、ハンサムなので牛若丸と呼ばれていました。
福沢が、キリスト教は親を大事にしないと批判した時、勝がうちの敷地に住んでいるホイットニーの子供達は
親孝行だし、キリスト教も悪くないと弁護しました。
勝は、倒れる少し前にキリスト教を受け入れたと言われています。
福沢と勝の子供達の数人は、クリスチャンになり、福沢の四女はYWCAの会長になり大きく用いられました。
面白いものです。

2016年10月29日土曜日

人力車のプラモデル




今日は、連載漫画「海を越えて」の下絵を描いています。
二人乗りの人力車のところを描いています。
人力車も写真を見てだけだと構造がわからないので、プラモデルを前に作りました。
手のところが壊れたので、テープで止め
ていますが、基本的にはこの人力車をモデルにしています。
モデルがあると色々便利です。
今は、モデルが1つあると、同じものを3Dプリンターで簡単にできてしまいます。
しかし、コツコツと手で作るところが、楽しいです。

2016年10月28日金曜日

エリザベス・サンダースホーム





NHKの大河ドラマ「龍馬伝」に出てい三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫に、外交官と結婚した沢田美紀と言う方がいます。
彼女は、クリスチャンで第二次世界大戦後、アメリカ人との混血の子供たちの孤児院を作った方です。
大磯にある孤児院「エリザベス・サンダースホームに私も見学に行った事がありますが、納骨堂にキリシタンの遺物がたくさん飾ってあります。
その中には、沢田さんが長崎で手に入れた、鏡に光をあてると十字架が浮かぶ仕組みになった魔鏡もありました。
昔、NHKが取材に来た時は、十字架は浮かび上がらなかったと係りの方からお聞きしました。
これは、「隠れキリシタン鏡」と言って二重の鏡の中に刻まれた太めのキリストが反射光では、すらりとしたキリスト像になる仕組みで、現代では作るのが難しいそうです。
江戸時代にたくさんこのような仕掛け鏡が造られたそうですが、私は写し出された十字架の写真をいただきました。
この沢田さんは、戦後、電車に乗っていた時、荷物が網棚から落ちてきて、その中に赤ん坊の死体が入っていたので、彼女のものではないかと疑われました。
もちろん疑いは晴れますが、その時「もし、お前がたとえ一時でもこの子の母親とされたなら、なぜ日本中のこういう子供たちの母親になれないのか」と言う神様からの語りかけを聞くのです。
そして、彼女は、その召しを受け取り、孤児院「エリザベス・サンダースホーム」を立て上げ、多くの混血の孤児たちを助けたのです。
プロテスタント史の中に、少し描いています。

2016年10月27日木曜日

ジョージ・ミュラーの時代




ジョージ・ミュラーの漫画の最終チェックをしていましたが、読むたびに多くの語りかけを受けます。
この時代、本当は、若い頃からもみあげがあると思いますが、漫画なので、もみあげなしの現代風の髪型にしました。
中年以降は、もみあげをつけましたが、個人的にはもみあげはあまり好きではありません。
また、ロンドンに行った時は、革の財布にしました。
昔は、お金を袋に入れていましたが、17世紀頃から、皮の財布があったそうです。
19世紀のお話なので、ロンドンで、スリにあった時は、外国に来たという意気込みもあって皮の財布にしたわけです。
これから、買い物に行って、夜からは、「海を越えて」のストーリーを作る予定です。
写真は、大好きなとろとろになった柿です。
美味しかったですよ。

2016年10月26日水曜日

与えなさい!




昨日は、ジョージ・ミュラーの漫画「ブリストルの風」の見直しをしていました。
最後のところで、ジョージが生涯かけて祈りだけで動かしたまとめをかきました。
孤児の総数は、1万24人、初めから亡くなるまでの費用約50万ポンドです。
これは今のお金にすると、だいたい300億から375億円くらいです。
これらは、祈りだけで満たされたのです。
ジョージな亡くなった時、持っていたお金は60ポンドで、約120万から150万円くらいですが、これも何かに使う予定がありました。
ジョージは、自分に与えられた献金から8万1490ポンド以上を捧げています。
これは、約16億3000万から20億4000万円です。
漫画の最後の方では、ルカ6:38「与えなさい。そうすれば,自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。」
という、御言葉を入れています。

2016年10月25日火曜日

可愛い実!




夕方から、降りそうなので自転車で遠くのスーパーまで買い物がてらの運動をしています。
とても、秋を感じる赤い実を見つけました。
可愛いですよね!

2016年10月24日月曜日

意外な面




明治の軍人で「舞姫・雁」などを書いた小説家・森鴎外は、ご飯の上にお饅頭を載せて、お茶をかけて食べる饅頭茶漬が好きだったそうです。
さすがに、甘い物好きの私でも、これは真似しょうとは思いませんでした。
また、果物には、砂糖をかけていたそうですが、いかめつい軍人のイメージとは、ほど遠いですね。
私の祖母は、よくみかんの缶詰をおかずにして、ご飯を食べていました。
ところで、勝海舟も、甘いものが好きでお酒は飲みませんでした。
一度だけ、どうしてもこれを飲んで欲しいと将軍か誰かに言われた時、飲んだことがありました。
それなのに、ある漫画では、大酒飲みになっていました。
明治になった時、ある饅頭屋さんが、今まで将軍様にお世話になっていたからお店をやめようとした時、勝はやめないようにと止めたのです。
そのお店は、今も雲の間にある虹出版社の近くに残っています。
勝海舟の書いた文字も残っているので、一度行って見たいと思っています。
勝は、木村屋のアンパンも好きでした。
偉大な人の意外な面を知ると親近感が湧くものです。

2016年10月23日日曜日

アズサリバイバル




1900年、アメリカの若い牧師パーハムは、自分に力がないことを感じ、学生たちを集めて共同生活をしながら、聖書の研究をしました。
そして、聖書の使徒の働きの中で、イエス様が天に帰られてから、弟子たちが聖霊のバプテスマを受けた後、霊的な言葉である異言で語ったことに気がついたのです。
そして、大晦日にみんなで按手して祈ると、全員が聖霊の最初の満たしである聖霊のバプテスマを受けました。
その後、異言やいやしの働きが起きてきたのです。
しかし、彼らは、新聞や雑誌で叩かれ、バラバラになってしまいました。
パーハムは、温泉のある保養所に行き、そこでいやしの祈りをしたのです。
3カ月の間にたくさんの人々が、いやされました。
その中で、最初にいやされた女性の住んでいるところで、集会をして、多くの方々が救われたのです。
引き止められましたが、パーハムは学校に重荷があったので、ヒューストンに行き、そこでベテル・バイブル・カレッジを作りました。
そこに、1905年、黒人で片方の目が見えないシーモアがやってきました。
資料を見たら、黒人だというので、窓の外で、授業を聞かせたそうです。
それが、残念ですね。
翌年の1906年、シーモアは、カルフォリニアにやってきました。
ある教会で、メッセージをしたら追い出されてしまいました。
しかし、教会員の黒人の夫婦が、自宅を開放してくれたのです。
それが、ボニーブレアーハウスです。
今は再建されていますが、当時は、かなりぼろ家だったそうですが、写真を見ると大きなりっぱな家に見えます。
そこで、みんなが聖霊のバプテスマを受けました。
人々が押しかけ、家に入れないので、シーモアは、ベランダに立って外にいる人々に語ったそうです。
ある時、「主をほめよ!」と叫んだら、床が抜けたので、別の集会場所を探しました。
それが、今のリトル東京の中にあるアズサストリートです。
当時は、墓石屋とか馬小屋があったそうです。
その中の馬小屋で、火事で半分焼け残ったところを改築して教会にしました。
そして、アズサリバイバルが起きたのです。


2016年10月22日土曜日

主われを愛す




今連載中の「海を越えて」の中で、「主われを愛す」の歌が何度も出て来ます。
「クララの日記」の中でこの歌を、クララが歌った時、清国で聴いたので、清国の歌だと思っていた人がいました。
この賛美歌は、アナ・P・ウォーナーという女性が詩を書きました。
アナは、姉のスーザンとともに島に住んで、アメリカ士官学校の生徒のために聖書教育を60年間も行っていました。
そして、1859年に、アナが書いた小説「Say and seal」に入れられたのです。
それを、1862年に、ウィリアム・ブラッドベリーが、曲をつけて子供の愛唱歌として普及したのです。
明治時代に、横浜の宣教師が、日本語に訳しました。
それを、ホイットニー家や勝家などでも歌っていました。
また、「蛍の光」もスコットランド出身者たちがホイットニー家で歌うようになったので、それが教科書にも入れられるようになったのです。

2016年10月21日金曜日

もったいない!




鳥取で、大きな地震があったので、びっくりしました。
明日中に、仕事を終わらせないといけないので、今必死です。
毎週金曜日は、牛丼がただの日ですが、忙しくて行く時間がありません。
本当に、もったいないなー!

2016年10月20日木曜日

ウェスレーの妻




ウェスレーの教会は、は、イギリスのブリストルにあります。
ジョージ・ミュラーの家と最初の孤児院の近くです。
ここで、リバイバルを起こし、素晴らしい神の器となりましたが、奥さんは最悪な方でした。
ウェスレーが病院にお見舞いに行くと、浮気をしているのではないかと疑ったり、お客の前で彼の髪の毛を引っ張って怒鳴るのです。
目の前で、そんな光景を見た他の教会の牧師は、家に帰ると息子に「今日初めて、人を殺したいと思ったよ。あのりっぱで気高い神の器の髪の毛を夫人がむしり取っているのを見た時、打ち倒したいと思った。」と告白しています。
ある方は「ウェスレー夫人は、狂的に近い憤怒の性癖と嫉妬心の権化であった。」と言っています。
怒りっぽく、年じゅうイライラしていて、機嫌の良い日は無かったそうで、結婚して4ヵ月目から、それが爆発しています。
別居を勧める人々に対して、彼は奥さんをかばい遠し、愛したのです。
悪妻は、忍耐を生み出し、偉大な神の器や、ソクラテスのような哲学者を作るのですね。
それにしても、ウェスレーは、女性に関して見分けができなかったのですね。

ジョン・ウェスレー




18世紀、メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導したジョン・ウェスレーの教会は、ジョージ・ミュラーの住んでいたブリストルにあります。
大きなデパートなどのある通りを一歩入ったところに、ひっそりとたたずんでいます。
この偉大なウェスレーは、大学を出てアメリカのインディアン伝道に行きましたが、失敗してしまいます。
インディアンから怪我をさせられたのを助けてくれた女性を好きになりますが、すでに彼女には婚約者がいたのです。
やがて、その女性は結婚しますが、ウェスレーの教会で分裂問題を引き起こしました。
ウェスレーは、失意の中で、イギリスにもどり、真の信仰に目覚めます。

2016年10月19日水曜日

秋らしい







とうとう、菊が咲き出しました。
黄色い菊なので、昨日植えたパンジーとスミレは、黄色を避けました。
我が家のお庭は、白と紫と黄色が中心です。
赤いのは、キャットテールで、去年高円寺の商店街でもらったものです。
秋らしい庭になりましたが、あとで、もう少し草取りをする予定です。ー

2016年10月18日火曜日

西郷隆盛と聖書




西郷隆盛の書いた「天敬愛人」が、聖書からの思想だと言う記事が1996年1月16日付けのキリスト新聞に乗ったそうです。
西郷が、聖書を読んでいたと言うのは事実です。
イギリスとの親交を深めるため漢訳聖書を読んでいたと言われ、人にも聖書を貸していたそうです。
明治7年以降に西郷が書いた「敬天愛人」と言うのは、明治元年に中村敬宇(正直)が書いた「敬天愛人説」から影響を受けたのではないかと言われています。
天とは、天の神のことであり、天の父なる神を敬い、隣人を愛すると言う聖書の思想から来た言葉です。
江戸城無血開城の前に西郷と勝海舟は話し合いをしましたが、この西郷と勝は両方ともすでに聖書を読んでおりその天と言う思想を捕えていたと言われています。
勝海舟は、生涯西郷を愛し、記念碑を建てたり、明治政府に西郷の名誉挽回をさせ息子のために留学できるようにしてあげました。
西郷に影響を与えた中村敬宇は、キリスト教の漢文の有名な本「天道溯原」の訓点をも行っています。
明治6年には、森有礼と一緒に明六社を作り、明治7年に洗礼を受けています。
クララの日記にも出てきますが、かなり吃音だと書いてありました。
六大教育家のうち、中村敬宇・森有礼・新島襄の3人がクリスチャンだと言われていますが、森の場合、スエデンボルグの影響を受けたのカルト系のキリスト教だったのが残念です。
しかし、森の再婚した奥さん(岩倉具視の娘)は、森がクリスチャンで伊勢神宮不敬事件を起こしたと言うデマを信じた男に殺された後、親子で洗礼を受けています。
そして、森有礼は教会には行かなかったが、キリスト教の精神で生きた人だと書いており、息子の森明は牧師になりました。
西郷も森も、新島もみんな勝海舟と関係の深い方々です。

蕎麦畑







サイクリングで、所沢に向かっています。
蕎麦の畑は、すっかりお花畑になっています。
実も付いています。
きれいですよ。

美味しそう!




加工して見ました。
実際に、こんな写真を使えるようになると思います。
色々楽しんでいます。

2016年10月17日月曜日

廃仏毀釈




江戸時代、仏教が優遇されていたので、神道は皆お寺に合併されていました。
ところが、明治時代は、神道国家・祭政一致となったので、お寺の特権は取り除かれ神道と切り離されました。
その時、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がおき、経典や仏像が破壊され燃やされたのです。
佐渡では、その運動が激しくおき、多くの仏像の破壊がなされました。
亡くなった伊丹十造監督は、そのことに興味を持たれ佐渡の方々を集めてインタビューされました。
ある青年は、「やらないと先輩から怒られたし、非国民と言われた。」と言っていました。
これは、日本のどの時代にもある民衆の思想だと思います。
「非国民」という言葉で、過去の多くのクリスチャンは差別され、罵倒され殉教者をも出してきました。
信仰を自由に持てる時代になって約70年、いつまでも、信教の自由が守られる国であるように祈るのみです。
しかし、迫害は再びやって来ます。
その時は、徹底感謝と賛美が守りとなります。
写真は、ラインのキャラ「豹変お勝ちゃん」です。
よろしくね。

2016年10月16日日曜日

次点だった!





無事に予選会が終わりました。
私が入っているゴスペルクワイアは、36グループ中15位の次点でした。
14位までが、年末コンサートに出場できます。
ちょっぴり残念ですが、みなさん本当にうまいです。
毎回、感動しています。
帰りにお腹がしたので、ソース焼きそばと餃子をいただきました。
昨日の夜も、餃子で、二人前食べたら1キロ増えていたので、ショックです。

唐揚げ弁当




良いお天気になりましたが、夕方は曇るそうです。
日曜日の朝は、いつも断食でお昼は、2時半過ぎになります。
最近は、昔のようにお昼は唐揚げ弁当にしています。
炊き込みご飯も美味しいです。

2016年10月15日土曜日

予選会の曲




明日の予選会の曲は、Israelみぎわさんの「花色」が、9グループで、妹さんの佐藤頌子さんの「Keep Your Head Up」が、5グループです。
今回は、佐藤頌子さんの曲が10曲で、Israelみぎわさんが9曲で、ダビデ前田さんが6曲でした。
毎年、その年どしのカラーがありますね。

いつの間にか




おかしいと思っていたら、いつの間にかブログが違うものに切り替わっていました。
これで、直ったと思います。

2016年10月14日金曜日

賛美に合わせて








賛美に合わせて、踊っている韓国の方々です。
衣装も、素敵の素材の白ですが。
素敵ですね。

ハン牧師





ハン牧師のメッセージが始まりました。
「神様は、一人一人を愛しておられます。」 と語っておられます。

横浜のリバイバル




歴史の中で、キリスト教のリバイバルは、突然に起きたのがいろいろありますが、その前段階に長い忍耐の祈りがあるのです。
何もないのに、突然起きるのではありません。
日本のプロテスタント最初のリバイバルは、明治16年、横浜でのことです。
宣教師バラが夢を見たことから始まります。
崖の上に、たくさんの羊たちがいて、天からの光で守られていました。
羊飼いはというと、離れたところで昼寝をしていたのです。
目が覚めたバラは、自分が眠れる羊飼いだったといって、礼拝の中で泣いて悔い改めたのです。
その時、会衆は、自分たちこそ眠れる者だと言って、泣いて悔い改めました。
そこから、リバイバルが起きたのです。
詳しくは、プロテスタント史「荒野で叫ぶ者の声」が、単行本や電子ブックになった時、お読みくださいね。

2016年10月13日木曜日

懐かしい!




昔描いたものが出て来ました。
懐かしいです。

守り




昨日の火災の停電は、59万人の方に影響を与えたそうです。
私は、一歩も家から出ていなかったので、守られました。
出てかけていたら、完全に帰宅困難になっていました。
野火止あたりは、犯罪や事故が多いなーといつも思います。
私の住んでいるF市も、事件の多いところです。
よく、殺人事件などでTVのニュースに出たりします。
私の家の近くでも、事件がありました。
駅から、15分くらい歩きますが、いつも感謝の祈りをしながら歩いています。
それが、1番の守りですね。

2016年10月12日水曜日

火災で停電が!




ヘリの音が珍しく聞こえます。
多分、新座の火災を取材しているヘリだと思います。
その火災が原因で、東京の35万軒の大規模停電が起きたようです。
高円寺のある杉並区や中野区でも、停電したそうです。
今は、停電も、解消したみたいです。
思いがけない事態です。
ものすごい、煙が東京の方に流れています。
本当に、何が起きるか、わからない時代ですね。

予選会




16日の大晦日のコンサートの予選会は、36グループ出演します。
その中で、花色が、8グループです。
Keep your Head Upが、6グループです。
NISHIZAKAと聖霊の雨とよろこびのうたが、各2曲です。
毎年、ヒット曲が出ますね。
楽しみです。

2016年10月11日火曜日

3Dの仏像




お寺の仏道が盗まれるので、本物は美術館に飾って、3Dで学生が作った仏道を飾っているという報道を見ました。
お坊さんが、仏像がないと、ただの空き家だと言っていらっしゃいました。
今、そういうお寺が増えているそうです。
もともと、仏師の方が精魂込めて作った仏像を拝んでいるはずなのに、コンピューターが作ったレプリカを拝むというのもありなのかなーと考えてしまいました。
おかしと思わないのでしょうかね?
不思議です。

ホットなひととき







昨日は「まどかとまさこのホットなひととき☆」の収録が終わり、家に着いたのが10時過ぎでした。
そして、今日は、お休みなので、朝から掃除をしたり郵便局に行ったりしていました。
秋なのに、なんだか桃のお茶が飲みたくなったので、春桃の緑茶をいただくことにしました。
桜やブルベリーやマスカットなどのお茶や紅茶などもあり、その日の気分で変えています。
美味しいですが、何よりも桃の優しい香が、大好きです。
限定商品なので、来年の春まで買うことができないため、大切に飲んでいます。
ホットなひとときです。

2016年10月10日月曜日

ワンタン麺





ワンタン麺をいただきました。
これは、豚と海老と鳥の三種類のワンタンが入っています。
塩味です。
さっぱりして、美味しかったです。
これから、「まどかとまさこのホットなひととき☆」の収録をします。
頑張ろう!

竪琴とバイオリン




今日は、竪琴とバイオリンのブローチをしていましたが、誰も気がつきませんでした。



アップにしたら、こんな感じです。

スポルジョン

スポルジョン
イギリスで買ってきた資料で、スポルジョンのDVDがあります。
何回か見ましたが、肝心なスポルジョンの子供の時、ある牧師から預言的なことを語られますが、そこは全く出てきませんでした。
ところで、「杉原千畝」さんの映画やドラマをいくつか見たことがあります。
また、何冊かうちに本があります。
杉原さんは、ロシア正教の方なので、6000人のユダヤ人にビザを発給したとき、何かみことばの語りかけはなかったかと調べました。
うちにある本には出ていません。
もちろん名画やドラマにも出てきません。
ネットで、こんなものを前に見つけました。
杉原さんが、悩んでいる時、奥さんにこんな神様からの語りかけがあったそうです。
「町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。」エレミヤ哀歌2:19
そこで、「杉原は自分の将来はどうなっても構わない。」と言って、決断したそうです。
写真は、19世紀に大リバイバルの器となったスポルジョンです。
ただいま、月刊誌・雲の間にある虹にて、好評連載です。

2016年10月9日日曜日

わんたん

美味しそうなワンタンです。
新しくできたお店なので、近いうちに行こうと考えています。
でも、カロリーが!

祈りがきかれた!





今日は、雨です。
昨日は、さいたまは午前中かなり降っていました。
路上ライブをするので、午後から晴れて、家に帰るまで雨から守られるように祈っていましたが、そのとおりになりました。
まさに、ハレルヤですね。
路上ライブは自由にでき、問い合わせの電話もありました。
インターネットを通して、ゴスペルを聞きに来られた方が救われました。
いろいろ祈りが、聞かれて嬉しいです。

2016年10月8日土曜日

救いが!




いやしの集いでは、ゴスペルを聞きにこられた方が、イエス様を受け入れる祈りをされました。
三ヶ月続けて、救いが起きました。
ハレルヤ!感謝します。

ついたよ!












高円寺に着きました。
今日の夕ご飯は、マックです。
みんなが来るのを祈りながら待っています。 まどか



ペッパーくん














いやしの集いのブログの写真が、アップできないので、softbank に来ています。
ペッパーくんに「もしかして、暇ですか?僕と一緒に話しましょう。」と言われたので、暇だけど時間がありません。」と言うと、「わりと面白いですよ。」と返事が返ってきました。
ははは・・・です。

辻ヶ花




結局、夕べは眠ることができなかったので、完徹になってしまいました。
ところで、この
お逸の帯の柄は、辻ヶ花です。
本来辻ヶ花は、安土桃山の頃に流行った柄ですが、廃れてしまいました。
戦国時代の、肖像画に出て来ますし、立原正秋の小説に出て来ます。
昔は、立原文学に憧れていたので、幻の辻ヶ花の本物はどんな柄かと思っていました。
昭和になって、久保田一竹さんが、復刻されました。
それ以来、一般でも大流行しました。
私も、一枚持っています。
山梨県の久保田一竹美術館には、世界中から観光客が押し寄せているそうです。
ですから、明治時代のお話である「海を越えて」に出てくるというのはおかしいですが、
そこは、まあまあですね。
先に自己申告しておきます。
250年前の古い帯を買ったことにしておこう!
おすみの着物も同じ柄です。

2016年10月7日金曜日

雨予報







明日は、6時半から、いやしの集いです。
4時半から、高円寺駅前で路上ライブをするので、応援に来てくださいね。
雨の予報ですが、その時間雨から守られるよう、お祈りください。
しかし、雨にも負けずです。

雨ニモ負ケズのモデル




宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のモデルは、宮沢の友人でクリスチャンの斎藤宗次郎だと言われています。
彼は、お寺の息子でしたが、小学校の教師になりました。
入院していた時、聖書と出会い、1900年(明治33)に洗礼を受けました。
岩手県花巻市で、初めてのクリスチャンでしたが、親から勘当され、町の人たちからは迫害されました。
無教会派の内村鑑三の影響で、非戦論を唱えたため、学校を辞めさせられ、新聞配達をしたのです。
9才の娘は、子供たちから「キリスト教徒の娘」だといじめられ、腹を蹴られたのが原因で腹膜炎を起こして亡くなりました。
それでも、人々を恨むこともなく、新聞配達の帰りには、病人を見舞い励ましたのです。
そして、第一にキリストに仕え、第二に人々に仕える生活を20年もしました。
彼が、東京に行くことになった時、町中の人々が、感謝して見送ったのです。
斎藤は、内村鑑三の弟子になり、内村が亡くなる時は泊まり込んで看病をしました。
宮沢賢治の「冬のスケッチ」という作品の中に、斎藤をもじったと言われる加藤宗二郎という人物が出てくるそうです。
1927年(昭和2)に、90才で、亡くなりました。
写真は、今日のおやつのサツマイモのお饅頭です。

2016年10月6日木曜日

漫画の手直し







漫画の原稿は、単行本にする前に、いつもかなり訂正しています。
なぜかというと、結構落としがあるからです。
1番多いのが、シワを描き忘れることです。
また、模様の書き忘れもあります。
文章も、校正しています。
これに、時間がかかるわけです。
いまは、連載中の「海を越えて」を直しています。
夏休みは、これで終わってしまいました。
それでも、うれしいです。