2016年10月18日火曜日

西郷隆盛と聖書




西郷隆盛の書いた「天敬愛人」が、聖書からの思想だと言う記事が1996年1月16日付けのキリスト新聞に乗ったそうです。
西郷が、聖書を読んでいたと言うのは事実です。
イギリスとの親交を深めるため漢訳聖書を読んでいたと言われ、人にも聖書を貸していたそうです。
明治7年以降に西郷が書いた「敬天愛人」と言うのは、明治元年に中村敬宇(正直)が書いた「敬天愛人説」から影響を受けたのではないかと言われています。
天とは、天の神のことであり、天の父なる神を敬い、隣人を愛すると言う聖書の思想から来た言葉です。
江戸城無血開城の前に西郷と勝海舟は話し合いをしましたが、この西郷と勝は両方ともすでに聖書を読んでおりその天と言う思想を捕えていたと言われています。
勝海舟は、生涯西郷を愛し、記念碑を建てたり、明治政府に西郷の名誉挽回をさせ息子のために留学できるようにしてあげました。
西郷に影響を与えた中村敬宇は、キリスト教の漢文の有名な本「天道溯原」の訓点をも行っています。
明治6年には、森有礼と一緒に明六社を作り、明治7年に洗礼を受けています。
クララの日記にも出てきますが、かなり吃音だと書いてありました。
六大教育家のうち、中村敬宇・森有礼・新島襄の3人がクリスチャンだと言われていますが、森の場合、スエデンボルグの影響を受けたのカルト系のキリスト教だったのが残念です。
しかし、森の再婚した奥さん(岩倉具視の娘)は、森がクリスチャンで伊勢神宮不敬事件を起こしたと言うデマを信じた男に殺された後、親子で洗礼を受けています。
そして、森有礼は教会には行かなかったが、キリスト教の精神で生きた人だと書いており、息子の森明は牧師になりました。
西郷も森も、新島もみんな勝海舟と関係の深い方々です。

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