1900年、アメリカの若い牧師パーハムは、自分に力がないことを感じ、学生たちを集めて共同生活をしながら、聖書の研究をしました。
そして、聖書の使徒の働きの中で、イエス様が天に帰られてから、弟子たちが聖霊のバプテスマを受けた後、霊的な言葉である異言で語ったことに気がついたのです。
そして、大晦日にみんなで按手して祈ると、全員が聖霊の最初の満たしである聖霊のバプテスマを受けました。
その後、異言やいやしの働きが起きてきたのです。
しかし、彼らは、新聞や雑誌で叩かれ、バラバラになってしまいました。
パーハムは、温泉のある保養所に行き、そこでいやしの祈りをしたのです。
3カ月の間にたくさんの人々が、いやされました。
その中で、最初にいやされた女性の住んでいるところで、集会をして、多くの方々が救われたのです。
引き止められましたが、パーハムは学校に重荷があったので、ヒューストンに行き、そこでベテル・バイブル・カレッジを作りました。
そこに、1905年、黒人で片方の目が見えないシーモアがやってきました。
資料を見たら、黒人だというので、窓の外で、授業を聞かせたそうです。
それが、残念ですね。
翌年の1906年、シーモアは、カルフォリニアにやってきました。
ある教会で、メッセージをしたら追い出されてしまいました。
しかし、教会員の黒人の夫婦が、自宅を開放してくれたのです。
それが、ボニーブレアーハウスです。
今は再建されていますが、当時は、かなりぼろ家だったそうですが、写真を見ると大きなりっぱな家に見えます。
そこで、みんなが聖霊のバプテスマを受けました。
人々が押しかけ、家に入れないので、シーモアは、ベランダに立って外にいる人々に語ったそうです。
ある時、「主をほめよ!」と叫んだら、床が抜けたので、別の集会場所を探しました。
それが、今のリトル東京の中にあるアズサストリートです。
当時は、墓石屋とか馬小屋があったそうです。
その中の馬小屋で、火事で半分焼け残ったところを改築して教会にしました。
そして、アズサリバイバルが起きたのです。
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