1948年にイスラエル国家は建国されましたが、1903年に開催された「世界シオニスト会議」では、ユダヤ国家は必ずしもパレスチナでなくてもよいと言う意見がありました。
世界シオニスト機構を設立した西欧のユダヤ人・ヘルツルは、イギリスが提案した「ケニア高地」案を受け入れましたが、東欧のユダヤ人達は反対しました。
その後、東アフリカのウガンダ案がありましたが、やはり東欧のユダヤ人達は反対し選ばれた民の地である聖地を主張しました。
ところで、そのヘルツルは1904年の7月に44歳の若さで突然死んでしまい、世界シオニスト機構は分裂をまぬかれたのです。
(東欧のユダヤ人と西欧のユダヤ人の対立より)
ここにも、神様の手があるのを感じます。
神様の御心は、神様の手で推し進められるのですね。
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